輪王寺の開山 (1441年)
輪王寺は、嘉吉元年(1441年)、伊達家九世政宗の夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、十一世持宗が、太菴梵守和尚を開山として福島県梁川に創建されました。政宗夫人は、三代将軍足利義満の生母の妹に当たるため、六代将軍義教は、後花園天皇に奏請し、「金剛寳山輪王禅寺」の額を賜りました。
六遷(1441年~)
輪王寺の草創期は、伊達氏の躍進の時期と重なり、伊達氏の居城は梁川・西山・米沢・会津・米沢・岩出山・仙台と変わったが、輪王寺もこれに従って転々とし、仙台の現在地に移ったのは、十七代政宗の慶長七年(1602年)九世久山光天和尚の時であった。これを史家は、「輪王寺の六遷」と称しています。
繁栄 (1602年~)
仙台の地に落ち着いて後、輪王寺は伊達氏の庇護のもと、奥州における曹洞宗の一大叢林として、三百余年の間「海東禅窟」の名をほしいままにしました。
衰徴 (1876年)
明治維新以後、伊達氏の外護を失った輪王寺は、明治九年(1876年)野火に類焼し、仁王門のみを残して伽藍の全てが灰燼に帰しました。以来復興の策なく山内は荒廃にまかされました。
復興 (1903年)
曹洞宗の大本山、永平寺と総持寺は、輪王寺の衰徴を惜しみ、明治三十六年(1903年)福定無外和尚(1881-1943)を輪王寺住職に特選し、その復興を託しました。無外和尚は辛苦十余年、寝食を忘れて再建に努力し、大正四年(1915年)、現在の本堂と庫裡を完成しました。