輪王寺・由緒
輪王寺は、伊達家第九世大膳大夫政宗夫人、蘭庭明玉禅尼の所願により、第十一世、大膳大夫持宗により嘉吉元年(1441)太菴梵守和尚を開山として、奥州伊達郡梁川に創建されました。政宗夫人は、三代将軍足利義満の生母の妹に当たるため、六代将軍義教が後花園天皇に奏請して、宸筆の額「金剛寳山輪王禅寺」を賜りました。
その後、伊達家の居城の遷移に従い、西山、米沢、会津、米沢、岩出山を転々とし、慶長七(1602)年仙台に移り現在の地に至り、伊達家の擁護のもと、奥州における曹洞宗の一大叢林として、三百余年間「海東禅窟」の名をほしいままにしたのであります。
明治維新後、輪王寺は伊達家の外護を失い、さらに明治九年(1876)北山に発した野火のため、仁王門を残し七堂伽藍を全焼再興の策なく荒廃のまま二十数年が経ちました。
曹洞宗大本山、永平寺と總持寺は、輪王寺の衰微を惜しみ、明治三十六年(1903)、福定無外和尚を輪王寺住職に特選し、復興を図らしめました。無外和尚は辛苦十余年、寝食を忘れて再建に努力し、大正四年(1915)、現在の本堂と庫裡を完成するに至りました。無外和尚は庭園の建設にも意を注ぎ、晩年にはほぼ現在の規模を備えた庭園が出来上がりました。無外和尚以来の伽藍の復興と庭園の整備は、次の五峰和尚に受け継がれ、梵鐘、位牌堂、坐禅堂、開山堂が次々と完成し、七堂伽藍の全てが整い、庭園には茶室「半杓庵」が建設され、東北有数の名園となりました。さらに昭和五十六年(1981)道閑和尚の時代に開山五百回大遠忌を記念して三重塔が建立され、昔日の偉容を回復するに至ったのです。その後、平成十六年(2004)、輪王寺の地下を通る都市計画道路工事に伴い、輪王寺参道の杉並木が全て伐採されましたが、新たな参道に、土地本来の森をつくろうと考えた現在の住職は、多くのボランティアさんのご協力をいただきながら植樹を行い、現在の参道が完成しました。参道を含む境内には、三万本以上の植樹が行われ、今では輪王寺を取り囲むように土地本来の森が育まれています。
輪王寺ゆかりの人々の墓
輪王寺には、伊達家をはじめ仙台にゆかりのある各界の方の墓所がございます。
江厳寺殿
十七代政宗の八男竹松丸 側に殉死者の墓二基がある。
元和元年(1615)没、七歳。
飯沼貞雄
会津白虎隊唯一の生存者 (当時十六歳)。
昭和六年(1931)七十八歳没。
志賀 潔
赤痢菌発見者 文化勲章受章 仙台市名誉市民。
昭和三十二年(1957)八十七歳没。
今村 均
陸軍大将 高潔な武人として知られる。
昭和四十三年(1968)八十二歳没。